飲み会と雑感

昨日は友達と定期的にやっている飲み会の日でした。

今月末に手術なので、しばらく飲み会に参加できないかもというのと、この飲み会で一緒の友達は、みんな私が耳が悪いことを知っているので、ごくごく普通に手術するという話をしました。

人工内耳を入れるといきなり言っても直感的に把握できるような話でもないので、「今度手術して耳に機械入れることになったんだわ」って感じで、そこから説明していきました1

みんな、いつも通りの飲み会での一つの話題って感じで聞いてくれて、人工内耳を入れたら音がどんな風に聞こえるんだろうというところに興味を持って色々話をしましたが、「そんなに耳が悪いなんて大変だね」って感じにはならなかったのでそこは非常にありがたかったです。まあ、そういう人達ではないからこそ楽しいわけですが。

ただ、こういう話題になった自分の耳のことを他人に話すときには改めて気づかされるんですが、私が言葉が普通に喋れるというのは、私が耳が聞こえていたときに言語を獲得できたからなんですよね。

私の場合は、難聴の原因が不明なまま徐々に進行していって現在にいたるんですが、言語自体は問題なく獲得できているので、今では補聴器をしなければほぼ聞こえない耳でも言葉を話すことができているわけです。

そして、難聴になる前の「聞こえていた自分」というのもほとんど記憶がないので、耳が悪いという前提のもとで物事をやりくりしていく術を30年以上かけて身につけてきたんだな、と2。なので、私自身は、今すぐ人工内耳の手術をしなくても、あともう何年かは補聴器でやっていけるかなという思いもあったりはします。

でも、そういう中でも「頭打ったらいきなり耳良くならんかなあ(笑)」とか「もうちょっとちゃんと聞けていたらなあ」とかいう思いはどこかに抱えてきたので、人工内耳がうまく行くかどうかは別として、「もしかしたら今よりは人の話をまともに聞き取れることができるかもしれない」という機会が得られたことについては非常に前向きに捉えています。

そんなこんなで入院まであと2週間。ボチボチと準備していきましょう。


  1. ちなみに「体に機械を入れる」といったら「どこに効果が出るん?ここか?」といってすぐに下半身を指差すような人達だったりします(笑)。まあ下らないけど楽しいんですよね。

  2. だから定義としては「中途失聴者」ではなく「重度難聴者」なのかなあ。定義がどうであれ聞こえないことにかわりはないんですが、気になる性格なので。